映画とミュージアムと私

映画や博物館など見たものの記録です。ネタバレまみれ注意

アナログ日記に挫折して

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

私は元々書くことが好きで、大学から10年ほど日記をつけていました。

しかし社会人になって会社と自宅の往復のみの生活になり、変化のない毎日の中で日記をつけることはいつしか「面倒な作業」となっていました。

趣味で始めたことが辛くなっては元も子もありません。日記をつけるのはやめました。

今思えば、日記に限らず準備も片付けも大変なアナログ作業は、元来ずぼらで面倒くさがりな私には向いていなかったのだと思います。昔はそれしか選択肢がなかったので仕方ないのですが…。

 

ところが最近、歳のせいか行った場所や見たものの記憶がどんどん消えていくことに気づきました。

素敵な美術展、学びを得た博物館、感動した映画…若い頃は整理された本棚のようにすっと取り出せた記憶達が、あっという間に行方不明になってしまうのです。

別に忘れてしまっても構いません。忘れるということは私にとってさほど重要でない記憶なのでしょう。

ただ、せっかくの感動や学びが、一瞬で脳内シュレッダーにかけられてしまうことに一抹の寂しさを感じました。

老いるとはそういうこと、と言ってしまえばそれまでですが、デジタル環境を手に入れた今「日記というほど事細かでも毎日でもないけど、見たものを一応残しておく為の記録」もありなのでは?と思ったのです。

 

「じゃあ、なんでブログなの?ノートにでもまとめとけば?」

おっしゃる通りです。これもちゃんと理由があります。

前述の通り、私はアナログ日記に挫折しました。厳密な定義は置いておいて、私の中で日記とは夏休みの宿題や日直日誌、仕事の業務日誌に代表される「原則毎日つけるもの」です。その価値観に縛られて、書かなかった日が歴然と分かる日記帳では「これは個人的な趣味だよ?趣味ひとつ毎日続けられないの?」と突き付けられている気持ちになりました。

日記でなくノートに書けば白紙はなくなりますが、日本語にはそういう「好きなときだけ書く記録」にあたる言葉がないように思います。ノートの存在意義がはっきりしないので「たまにしか書かないからこれは日記じゃない。じゃあこれはなんなの?こんなにちょっとしか書かないのに意味ある?」とイラついてしまいます。

いずれにしても「必要なときだけ書く」スタンスでいると、私の性格上どうしても「1年でこれだけしか書かなかった…」と感じます。記録をつけるのは義務でもなんでもないのに、です。不思議ですね。

 

でもブログは毎日つけねばならないものではありませんから、月に1回しか書かない人もいれば、日に2回書くこともあるでしょう。スタンスは自由なので罪悪感もありません。

加えてipadを使えば、机に向かう必要も筆記用具を出す必要もなく、ごろごろしながら書いてそのまま寝落ちても大丈夫。映画館に行った帰りのカフェで、スマホからアップすることもできます。

アナログに挫折した私にとって、「なにをいつどれだけ書いても、書かなくてもいい」ブログという形は最適な記録ツールでした。

 

あくまで自分の為の記録なので、初めは全て非公開でつけることも考えました。でも公開にしておけば「あのイベント行くかどうか迷うな」「あの映画他の人はどう思ったの?」という方々のヒントになることもあるかもしれないと思い、一応公開にしています。

まだ始めたばかりですが、大きなイベントからテレビで見た映画まで、感想を綴る楽しさを思い出しながら書いています。デジタルの気軽さに助けられて、この先もっと色々なことを書き留めるようになるかもしれません。この先も末永く楽しく続けていきたいと思います。